昨日、今シーズンNo.1……いや自己記録かも……そんな魚をバラしました。その日はずっと“あの時こうしておけば良かった”とか、後の祭りではあるものの悔しさをバネに、次回のその時に備えイメトレをしていました。
翌朝、嫁が突然こう言いました。“昨日、車に乗っていた時ふと思ったんだけど、あなたにとって釣りは趣味ではなく、生きることなのね”と。おいおいリリシスト的な発言するねぇ……なんて突っ込んでいた直後、頭に雷が落ちたかのような衝撃が走ります。
そうか、あの魚は“生きる”ために針を外した、僕は昨日のバスには最初から負けていたんだ。そう思うようになったのです。
ここからは現実と想像です。
人間は年を重ねれば賢くなる、ではありません。 肉体・精神・知識……どれも鍛え・学び続けていなければ、年齢に比例して勝手に向上するなんてことはないわけです。
デカバスもしかり。あの魚たちも当然ながら長きにわたる成長の歴史があり、その中でどのような経験を踏まえたかで“サバイブ”の術に差が出てくるのです。でしょう、たぶん。
そう考えていたら、前日のバラシも腑に落ちたというか、何だか今まで釣り人である僕は、ブラックバスに対して妙に上から目線だった思うのです。
よく“人間は自然に対して謙虚であるべき”みたいなことが言われますが、今回の出来事で痛感しました。
じゃデカバスを獲るためにやり取りの腕を上げ、道具も見直してより万全の体制を整えよう! バラシという敗北こそ釣り人を強くする!
一般的にはそうかもしれませんね。
でも、今の僕はバラした魚には敵わないでしょう。
なぜか? それは“生きる術”が相手の方が上だからです。
腕や道具云々ではなく、自分にとっては釣り人としての心構えが最も重要であると思うのです。
今後は、私にとって生きる=釣りをすることである自身の質を高めるとともに、より一層ブラックバスに敬意を表し、またいつかモンスターに出会える日を楽しみにしています。
現代には「今をサバイブするための~」みたいな本などが溢れていますが、自然から、いや『ブラックバス』から強烈に学ばせていただきました。
サンキュー、バス! それから気づきを与えてくれたお嫁。